いよいよ僕自身のαMでの展示も近づいてきました。現時点の僕の力量からすれば、大掛かりなものになるとは思います。京都→東京への輸送の段取りだけで大変そうですが、頑張ろうと思います。
再魔術化、重なり合うレイヤー、どちらもとても重要な言葉のように思います。
僕個人は科学的思考というものは、ある仮説に対し、その仮説を裏付ける観測が出来るだけ多くある場合、それが限りなく真実に近いと言える、と言う統計的手法のイメージが強いです。勿論昨今の科学はもっと進歩、変遷しているのでしょう(ustreamでかの児玉教授が言っておられた、パラメーターの多少の話が興味深かったです)が、一般的理解と言う意味では僕の持つイメージに近いかも知れません。物質の大小を計る物差しは、思考の上ではどこまでも任意に大きく広げてゆけるし、その逆も然りで、想像の上ではスケールと言うものは無限に続く訳ですが、統計学的に考えた場合「真実」と「限りなく真実に近い」はどれだけ観測数を増やしても、その間にある差は永遠に埋まらないばかりか視点が微視的になってゆけば行くだけ、その差は広がってゆくような感覚に陥るかもしれません。僕はそこが面白いとも思うのですが。
レイヤーと言う言葉を使う場合、ある世界の中にある異質なもの異質な層の分化←→重層と言う両方向性が思いつきます。物理的な現実における各々の意味のレイヤーは、視点のミクロマクロの程度により一つのレイヤーがさらにいくつものレイヤーに分かれて見えたり、またレイヤー自体に凹凸があり(これを僕は今厚みと表現しようと思いますが)、実写映像はそれが厚さゼロに圧縮されてしまうような奇妙なものだと思っています。イメージ自体が確固として存在するのでは無く、色の違う光が物質面を照らし出していると言うのが、結局のところ実際に起こっている全てでもあります。前回映像を絵の具のように、と言いましたが、他に自分のアプローチについて言える事があるのなら、ある実写イメージに別の実写イメージを重ねる事で、不思議に圧縮が解かれてレイヤーが分離し、さらにその隙間に何ものかが流れ込んで新たな厚み=奥行きを獲得する瞬間を待っているのだ、、、と言えるかもしれません。
程よく文章にも再魔術をかけたところで(?)、今回はこの辺で失礼します。
宮永亮