2012年5月5日土曜日

「成層圏」 -カップリング、持続する共時的な場、重ね合わせの生

αMの2011年のプロジェクト「成層圏 Stratosphere」は3月24日に終了しました。最後にこの場を締めるにあたって、ブログを提案した村山からここまでお付き合い頂いた皆さまにお礼を申しあげますと共に、一つの呼びかけを試みたいと思います。

成層圏シリーズのラストを林加奈子さんが飾ってくれたましたが、その個展の最終日にはシンポジウム「成層/断層:再起動する美術」も開催されました。(シンポジウムの模様は以下のURLからご覧いただけます。)
http://www.musabi.ac.jp/gallery/2012/03/post-90.html

「成層圏」については、鈴木勝雄さんがこのシリーズ冒頭のステートメントにおいて以下のように述べていました。
美術に特有の表現の強度が、複数の意味の層が重なりあって、豊かな多義性を発揮することにある』。そして、『意味を発生させる層が流動性を失うことなく曖昧に連なり、その各層を想像力が横断的に飛翔することを予感させる空間として「成層圏」という語を読み替えていきたい
しかし、このシンポジウムには(僕も参加していましたが)、「成層圏」というテーゼの困難さが、ぎこちない不連続性として表れていたように感じられました。幾重にもつらなった「意味を発生させる層」、それらを想像力が横断してゆくためには、はたしてどのような具体的なモデルや関わりを構想すればよいのでしょうか?


・ キュレーターとアーティスト –カップリング

まずキュレーターとアーティストの関わりについて、カップリングという概念を手掛かりに少し考えたことを述べたいと思います。このシリーズにおいては、キュレーター×アーティストの関わりが「成層圏」の最小単位の要素だろうからです。
僕は田中正之さんと展覧会をつくってゆきました。僕が準備期間中の大半をロンドンで過ごしていた為に、打ち合わせは3回ぐらい(2010年12月、2011年4月、10月)と少なめでしたが、そのなかでもキュレーターとアーティストの関わりに一つの「結び目」をつくれたと思っています。「結び目」とは、異なるシステムが自律して作動しながら、かつカップリングするための、それぞれのシステムにとって共にアクセス可能なコモンズであり、たがいに媒介しあう結節点のようなメッセージのことを指しています。

キュレーターとアーティスト、それらは異なる理(リーズン)で動いています。アイデアを成熟させてゆくまでに、思考系の過程がどのように推移するか、またその作業環境をどのように整備するかは別様なのです。たとえば、僕はアイデアを練るプロセスにおいては、言葉にもしませんし、メモもとりません。ドローイングすらもほとんど描かないのです。アイデアのイメージやフォームを頭のなかで浮遊させながら明滅させて、具体的なイメージや意味に縮減しないように注意しながら、その状態でひたすら待ちます。(本展で発表した「変態のダイアグラム」は、かれこれ5年は寝かせたアイデアが元になっています。)そのうえで、決心のついたアイデアについては、他者と共有しようというステップに入ってゆくのです。
また、それぞれの理の背景となっているディスクールもまた異なっており、大まかにいえば田中正之さんは近現代美術史の専門であり、僕はベイトソンの思想やオートポイエーシスのような生命系を敷衍しています。(「私のゆくえ tracing the “self”」というテーマは、そうした異なるディスクールの束を、「主体」という概念で串刺しにする企図があったと思います。)
そうした時間、場、人が多様なシチュエーションのなかで、どちらか一方がその考えを他方に当て嵌めてゆくという方式は、どこか筋ちがいになってしまう場合が少なくないと考えています。ではどのようにすればよいのか?僕はキュレーターとアーティストの関わりにも、本展で提示したような「カップリング」の関わり方を見いだすことを提案したいのです。

カップリングについて、河本英夫さんをゲストに迎えたトークイベント「アートとオートポイエーシスは出会えるか?」(2012.1.16)にて、河本さんが面白いお話をされていました。アーティストの荒川修作さんとの対話についてです。(トークの模様は以下のURLからご覧いただけます。)
http://www.musabi.ac.jp/gallery/2012/01/post-85.html/

※河本英夫「荒川修作とのカップリング」トークより(27分ごろから)
すごく長いあいだ仲良くしていたアーティストで、去年(2010年)の5月半ばに亡くなりましたけど、荒川修作ってのがいます。困った男でね、たいへん困った男で。日本人が親しくしようとすると、「うん、わかった」と言って、ぜんぶ捨てちゃう人。

講談社新書って黄色い表紙の本があって、あれはつづき番号が全部ふってあるんですが、一巻だけ欠本があるんですよ。ある講談社の編集者が、荒川修作に喋りたいだけ喋ってもらって、テープをとって編集して、原稿は全部できちゃったんです。それで荒川修作のところにまわしたら、それっきり帰ってこなかった。それで現在も欠本なんです。で、その番号のとこだけ飛んでる。だけどタイトルはもう決まってるし、内容も決まっちゃってるわけ。でも、本人は「あん?あれ?なんかあったよね」なんて言ってる。で、全然関心がない。

彼としゃべるときもね、日本人は彼をおもしろいって思うから会いに行ってみるわけです。行ってみると、あんまり話が続かなくなるとすぐ荒川修作は「Go home!」って、「帰れ!」って言うんですよ。「もう田舎に帰れ!」って。そういう感じで、2回会って、3回目ぐらいにはもうおしまいっていうような感じになっちゃう。編集者でも、それから友達でもそういう感じになっちゃう。ま、日本にいられない理由ってのはいろいろあるんだけど。 
それで僕もちょっと紹介されて(というか引っぱり出されて)、話をしていると、もう話題をつづけなきゃいけないんですよね。それで例えば、こういう話題。
 

ここに点がある(宙を指さして)。ここに点があって、点だから大きさもない。この点が次の瞬間、無限大になる。点が次の瞬間、無限大になる、と。じゃあこれをどうやって掴まえるんだ?そんなテーマを設定してお互いやるわけです。
もう相手が出せなくなったらそれでおしまいなんですよ。で、こっちもいろんなこと言うわけ。言うんだけど、そしたらジーッと荒川修作は考えてて、負けてたまるかみたいな感じになって、またほんとに頑張るわけ。ほいでそれに応じてこっちもいろいろアイデアを出す。それで一回彼が来た時は、だいたいまる1日とっていて、10時間くらいこのテーマでやるわけですよ。
で、そんなことをやってると、わかるんだけど。僕らの間に編集者がいてね、この編集者がずーっと聞いてるわけ。で、その帰り、夜の10時過ぎくらいにこう言ったんです。

(編集者)「いったい二人で何を話してたんですか、、?」
(河本)「10時間も横にいただろっ!?」 

(編集者)「なんっにも分からなかった、、。」って。

じゃあ僕と荒川修作はわかっているのか?というと、あれ普通は外から観ていると、僕と荒川修作はお互い理解しながらやってるって思うんだけど、実はなんっにもわかってないの(!)。まったく何もわかってない(!)。ただ延々と、こうやってアイデアを出し合ってる。何にも理解してないんだけど、それでも10時間延々と進むんですよ。これが、カップリングの基本なんです。 (編集:村山)
 この話から伺えるとおり、カップリングとはコミュニケーションの相互理解というような段階とは異なりつつも、対話において互いの発話を基礎付けるような何らかのメッセージ(媒介項)を有しており、それによって絶えずコミュニケーションを産出しつづけているのです。
僕と田中正之さんの間では、コミュニケーションの頻度は少なかったものの、そうしたカップリングを媒介するメッセージのなかに、特殊な「結び目」をつくることができたと思っています(むしろ田中正之さんが作ってくれたものですが)。
3.11直後の4月の打ち合わせ、そこで田中正之さんはこのように問いかけてくれました。『システムが破綻するときとはなにか?』と。そのとき、この問いかけを受けて僕の思考系は一気に展開してゆくように感じられました。そしてそこから『変態のダイアグラム』の制作にまで至ったのです。しかしながら、この問いかけにたいして僕は田中さんの文脈で理解したわけではないと思います。つまり、「こういう作品をつくってほしい」というような注文や相談によって制作する、ということではないのです。
というのも、"システムの破綻"の局面を描くことについて、当時の僕にはネガティブな印象がありました。なぜなら僕は"システムの破綻"を「死」と解釈するからです。(ただし、時間や空間のスケールを動かすと、ミクロにはアポトーシス、マクロには遺伝システムというような破綻(システムの局所的な死)のポジティブな面が取り出せます)。しかし、"システムの破綻"を「変態 metamorphose」(システムが自律的に作動しながら、自らその構造を新しく変えること)と読みかえることによって、その問いかけをアクティブ(展開可能な)に変えられるのではないかと考えました。そうして考案したのが「変態のダイアグラム」という作品だったのです。
対話のなかで、たえず互いのコミュニケーションの産出を基礎付ける媒介項をつくりだしながら、そのどこかに特殊な"結び目"を見いだすような関わり方。お互いの理解を深めてゆくのではなく、それぞれが別のコンテクストで共-接続するようなコミュニケーションの結び目。その中で『変態のダイアグラム』という作品を新しく作り出せたことが、僕にとって大きな収穫だったと確信しています。キュレーターとアーティストがこのように関わるモデルは、「成層圏」にとってとても有用ではないでしょうか。


・ ブログ- 持続する共時的な場

林、宮永、村山のブログリレー、これは「持続する共時的な場」としての機能を果たしてくれたと思っています。なぜなら、「時間」という問題意識を三人で共有できたからです。このような持続的なシチュエーションをつくり出すこと、これはすぐにでも始められる「成層圏」の実践的アプローチだと思います。ブレインストーミングのような短期集中の集団思考よりも、ゆるやかでありながら長く、その流れを持続させることによって、質のことなる思考のフィールドを切り開くかもしれません。

宮永くんと僕の作品における時間性は、メディアの時間性という意味において通じるところがあり、しかしながら、作品の現出のベクトルは反転しているように感じました。宮永くんの作品は、映像であり、動画でありながら、どこか瞬時的で、絵画的な時間性をもっているようにみえたのです。さながらそれはシークエンスの絵画。それにたいして僕の作品は、平面に複数の通時的なタイムラインが折りたたまれており、絵画化したシークエンスのようなものです。よくよく考えてみると、人間はこの両極の認識をどちらもうまく活用しながら生きているように思えます。それが改めてみえて、非常に興味深かったです。

林さんの作品における時間性は、人の記憶に結びついており、とても複雑な時間構造を持つ経験をベースにしているようでした。どこかアニミズム的なお呪いのような感触があったのは、そういった所以かもしれません。ただ、僕も彼女と同時期にイギリスへ留学し、大震災を体感せずに帰国しましたので、『みのむし』の作品について彼女がアーティストトークで語った言葉にはとても共感できました。被災した日本がどんな雰囲気になっているのかがわからず、(それはおそらく浦島太郎が竜宮城から戻るときと似たような)、ポッカリとした間が空いた様子です。恐る恐るからだじゅうに纏った木の葉を除いてゆくような、そんな肌触りで日本の時間を過ごした憶えが僕にもありました。

僕は林さんまでもが時間を主題に据えていたことに素朴に驚きをおぼえています。時間性は、それまでの彼女の作品や話題からは僕の伺い知ることのできなかったエレメントなのです。このブログの共時性が、なんらかの共鳴を誘ったのだとすればとても嬉しいと思います。


・ 3.11以降のアート- 重ね合わせの生

3.11のすぐあとの十数日間、あの経験を私たちは忘れることができないだろうと思います。私たちは、まるでシュレーティンガーの猫のような「重ね合わせの状態」に近い状況にいたのではないでしょうか。
シュレーティンガーの猫とは、量子力学にかんする思考実験です。原子や電子といった粒子の挙動は確率論的にしか定まらないという性質と、猫の生死という決定論的な事象のはざまでおこるパラドクスを提起しています。それは以下のようなものです。

ブラックボックスがあり、その中には猫と放射性物質、放射線の検知器と毒ガス発生装置が入っています。(1)ボックスのなかの放射性物質は、ある時間内に、ある確率で放射線を放出します(その確率分布はシュレーティンガー方程式によって計算される)。(2)放射線が検知されると、毒ガス発生装置が作動するように仕掛けがなされており、毒ガスがボックスのなかに充満します。(3)毒ガスが発生すれば、猫は死んでしまいます。 では、ボックスを閉じて一定時間たったとき、猫の生死はいったいどのような状態にあるでしょうか?

放射線の放出は放射性崩壊によって生じますが、その確率分布(ある時間内の)はシュレーティンガー方程式によって割り出すことができます。つまり、ある計算可能な確率で放射線が放出され、毒ガスが発生します。このとき、奇妙な状態が生じてしまいます。というのは、箱を閉じた場面おいては、その割り出された確率で、猫は死んでいるし、また、生きているのです。放射性崩壊の確率が、仮に1時間中で60%と計算されるとすると、60%は死んでいる猫が、そして40%は生きている猫が、箱の中に重ね合わさって存在してしまっている。そして箱を開いた途端、猫の生死はどちらかいっぽうの現実に収束します。このような状態を、量子力学では「重ね合わせ」とよんでおり、閉じられた箱のなかには「生きた猫」と「死んだ猫」が、ある確率の割合で重ね合わさって存在していると解釈されるのです。
これは私たちの通常の生死の認識とは全くことなってしまっています。「60%死んでいる猫」が存在する、と考えるでしょうか?生と死はどちらか一方であり、決定論的であって、両方が重ね合わさっているとは考えません。この思考実験は、量子力学における確率解釈の不可思議さとともに、決定論では対象化できないような認識の存立を示していると思います。そこにパラドクスが生まれてしまうのです。

あえて修辞的にいえば、このパラドキシカルな生が3.11直後から原発災害が進行するなかで、立ち上がっていたように思います。原発の被害は、観測も制御も十分にできないプラントの偶発的な要因と、放射性物質の挙動によって、悪夢のように進行していました。そのなかで、政府の原発災害についての最悪のシナリオには、格納容器内の爆発的事象の連鎖にともなって首都圏も避難区域になるという想定すらあったわけです。原発のプラントが危機的状況を回避したと判断されるまでの時点においては、首都圏は、避難区域になるかもしれないし、日常がつづくかもしれない、そのような偶有性をもっていたのではないでしょうか。今でも僕はあの偶有的な時空間の余韻から覚めていません。あり得たかもしれない現実が分岐し続けています。決定的に引き裂かれてしまったのです。

では、もしも東京が避難区域になってしまっていたら、アートはどうなっていたでしょうか?このような偶有性を問うことにはとても切実な意味があります。私たちはそのようなリスクを抱えもってしまっている。そして3.11以降、現実は引き裂かれ、アートもまた同様と考えるからです。引き裂かれた現実やアートを横断してゆくことこそが、「成層圏」にとってもっとも重要な現在形の課題だと考えます。

アートが美術館やギャラリーなどもろもろの近代的なインフラやコンテクストが整備されることによって実現される文化様態だとすると、被災地とはそれらが全ておし流されてしまった、アートにとっての"他者的な環境"として措定できます。もし東京が避難区域になっていたらという問いは、自身が住まい活動する街を「仮想の被災地」とすることであり、アーティストがこの"他者的な環境"といかに向き合うのかという命題を導いてゆくのです。

被災地は「第0世界」とも呼べるような場であり、そこには0地点から始まるクリエイションがある。たとえば高橋瑞木さんもシンポジウム触れていましたが、3331 arts chiyodaで展開されたプロジェクト『wa wa project』(2012)では、「つくることが生きること」という言葉に表題されるように、被災地での様々な創意がすくいとられ、共有されるよう展示が構成されていました。そこで紹介されたのは「第0世界」で生成する技芸知(アート)なのだと思います。そこでは近代主義以降に育まれてきたアートのコンテクストは有効に機能しなくなっています。
東京が避難区域になっていたかもしれないという偶有性は、そうしたノーコンテクストな「第0世界」を私たちが常に潜在的に合わせ持つということに他ならないのではないでしょうか。そうした状況においては、アートが通時的に敷くコンテクストは有効であるが、かつ無効でもある、といえるかもしれません。このような偶有的な現実を合わせもつアートを志向するべきなのではないかと考えはじめています。


ここまで「成層圏」を想像力が横断してゆくための3つのアイデアについて少し考えてきました。これからも引きつづき考えてゆきたいと思います。多義的な層がそれぞれに存立している状況、その層と層の関わりかたについて、具体的な抽象性を提示し、実践してゆくステップに入っているのだと強く強く思っています。
長くなりましたが、これにてひとまず僕の呼びかけは終わりにさせて頂きます。これまで成層圏シリーズに関わっていただいた皆さんありがとうございました。そして、このブログに付き合ってくれた林加奈子さんと宮永亮くんに感謝します。ありがとうございました。

村山悟郎