僕は田中正之さんのキュレーションで展覧会を作ります。テーマは「「私」のゆくえ」です。これは主体や、社会における「私」を扱う問題系であると思います。それは、僕の個展「絵画的主体の再魔術化」資生堂ギャラリー(2010)での意識とつながります。そこでまず、田中さんのステートメントを読み解くまえに、この「再魔術化」(re-enchantment)について概説してみたいと思います。
「再魔術化」というコトバを素朴に解釈すると、「再び魔術への扉を開く」というような、オカルトやスピリチュアルな世界観への回帰が想起されてしまうかもしれません。しかし、それはまったく違います。もともとこの語は、「デカルトからベイトソンへ - 世界の再魔術化」モリス・バーマン(1981/ 柴田元幸 訳 1989)という著書の表題からきているのです。
中世から近代、そしてポストモダンの時代へとつづく人類史の流れの中で、どのようにその世界観は変遷していったか?「魔術化 - 脱魔術化 - 再魔術化」という概念を持ち出しながらモリスは語ります。
デカルトやベーコン、ガリレオやニュートンが築いた近代科学は、中世の錬金術や呪術といった魔術的世界観からの「脱魔術化」を意味しています。そしてそれは、世界を主体と客体とに切り離して捉える、世界に「参加しない意識」だと彼は批判するのです。
実際問題、量子力学の観測問題や不確定性原理などが発見されて、微細な量子の挙動を観測することは原理的にできないことが示されました。観測自体が対象に影響を及ぼしてしまうためにです。つまり、主体と客体を切り分ける”観測”という近代科学の認識法は十全ではなく、それによって捉えられない対象領域が世界に広がっていることがわかってきたのです。
そこまで来て、モリスはグレゴリー・ベイトソンの思想を紹介しています。再び世界に「参加する意識」を取り戻す、新たなる科学の認識論として。ベイトソンの思想は、サイバネティックスに大きな影響を受けた"関係の理論"です。それは”主体をふくんだ世界”を包括的に捉える全体論のマインドで満ちています。
僕は、ペインターの世界認識にもこの「参加しない意識」が流入していると考えています。そしてそこから「ペインター(絵画的主体)を「再魔術化」するとは何か?」と問いたいと考えたのです。
次回に引き続き書きたいと思います。
村山悟郎
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